敗者復活の成功社長列伝


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敗者復活の成功社長列伝

中島警備保障社長の中島邦雄さん(前編)

父から引き継いだ会社が倒産。夜逃げをして債権者に捕まり、タコ部屋に入れられた

会社が倒産したときの社長の行動パターンで、最も多いのは夜逃げだと言われている。逃げ隠れせずに債権者と交渉する人や、自己破産のような法的処理をする人は一部に過ぎず、実際には夜逃げをする社長が多いらしい。ところが「私は夜逃げをしました」と堂々と語る倒産社長は、ほとんどいない。中島警備保障社長の中島邦雄さんは、自社のホームページでも「夜逃げを経験し」と堂々と語る稀有な存在である。

中島邦雄(なかじま・くにお)
1936年、京都市生まれ。立命館大学法学部卒。高校時代から父が経営する家業のタイル製造会社を手伝い、70年、父の急死に伴い2代目社長に就任。72年、工場の廃液に有害物質が含まれていたため工場を閉鎖し、業種を輸入タイルの販売に転換。82年、倒産。夜逃げをして債権者に告訴されそうになったことから、飲食店で働かされその負債を2年間で返済。84年以降、約10回の転職を繰り返しガードマンに。89年、資本金50万円で中島警備保障を設立し、無借金経営を続ける。

高校時代から家業の危機を救い、土下座に慣れてしまう

夜逃げ。一体、どこに逃げるのか。残された家族はどうなってしまうのか。そんな妄想をかきたてられる言葉だ。

中島邦雄さんのところには、夜逃げを日本の経営者特有の行動だと見て、何度かアメリカの放送局が訪ねてきたことがある。逆に中島さんが「アメリカの社長は夜逃げをしないのか」と聞くと、ある記者は「アメリカは法律が整備されているので、夜逃げをする社長なんていません」と言った。ある記者は「アメリカだって夜逃げをする社長はいますよ」と答えた。真偽のほどはともかく、彼らには倒産時の夜逃げが、極めて日本的な経営者の行動と映るらしい。

中島さんが夜逃げをするに至った経緯を追ってみよう。中島さんは、京都市で生まれ育った。父は何度も家業の建材業に失敗していて、家に生活費を入れたことがないような人だった。中学時代、中島さんが学校で会計委員になり、生徒たちから集めたお金を押入れに入れていた。そのお金をしばしば親が使い込んでいたので、中島さんはいつ先生から「お金を持ってきなさい」と言われるかと心配で、勉強が手につかなかった。

1954年、父が美術タイルの加工製造業を始めたので、高校生の中島さんも手伝うことになった。支払いのために振り出した小切手や手形が決済できないとき、決まって父はいなくなった。中島さんが学校から帰ると、銀行から預金残高が不足しているという電話がかかってくる。そのままでは倒産するので、中島さんは2時間あまりで親戚や知人宅を回り、お金を集めて銀行に入金した。お金を借りにいった人たちのなかには、通帳ごと渡してくれた人もいれば、罵声を浴びせる人もいた。手形のジャンプ(決済の期日を延ばすこと)をお願いしたこともある。

「何度も土下座を経験して、すっかり慣れてしまいました。50年も前の話ですが、いまだに罵声が頭にこびりついています。忘れるどころか、記憶がますます鮮明に蘇りますね」

高校を卒業するときには、大学受験も諦めざるをえなかった。家業を手伝いながら5年後に、立命館大学法学部の夜間部に進学する。それから6年かけて大学を卒業した。

67年、父は家族全員の反対を押し切って銀行から融資を受け、自宅兼工場を建設した。ところが父は、完成半ばに脳軟化症で急死してしまう。70年、中島さんは父の会社を引き継ぎ、2代目の社長になった。「借金を相殺して廃業すべきだったのかもしれませんが、事業に生涯をかけた父が気の毒になり引き継ぐことにしました」

若いがゆえの甘さだった。売上げが90万円のときに借金の返済が470万円だった月があった。「いまの自分であれば、即廃業しています」

当時の月商は100万円くらい。借金は2500万円から3000万円。うち、500万円は「もぐりの金融業」からの借金だった。いまで言うヤミ金融である。銀行融資は限界で、売掛金の早期回収や融通手形でなんとか切り抜けていた。

大手の特約店になったら、すべてをむしり取られた

工場には上下水道がなく、地下水を使用していた。72年、子供が生まれることになったので、中島さんは念のために地下水を保健所に持っていき、有害物質が含まれていないかどうかを検査してもらった。すると、六価クロムなどの有害物質がわずかに安全基準を超えていると指摘される。

「タイルの上薬に使った廃液を捨てていたので、それが地下水に含まれていました。これが指摘されると、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。公害問題が取り沙汰されていた頃だったので、その日のうちにテレビの全国放送のニュースで報道されました。それを見て、浄化槽の業者もやってきた。浄化槽を設置するには7000万円かかるというんです。零細企業にそんなお金を出せるわけがありません。ここで廃業すればよかったのでしょうが、借金が多すぎて廃業もできませんでした」

そこで、タイルの販売業に業種を転換して生き延びようと考え、会社を大手の輸入タイル商社の特約店にした。売上げが伸びれば借金の返済ができるともくろんだためである。

しかし、甘かった。特約店になったら売上げは伸びたものの利益率が低く、90%が手形での回収だったため資金繰りは苦しい。しかもその商社は、中島さんが開発した建材メーカーや小売店といった客先を自社の特約店にしてしまう。顧客を横取りしていくのである。さらに、ショールームの建設を要求されたり在庫を要求されたり、中島さんの会社から支払う手形のサイトを短縮されたり……。極めて体質の悪い会社であった。

「大手企業との取引がどういうものか、よく理解できていなかった」

82年には資金繰りに窮して、商社に支払手形のジャンプを2度にわたって要請した。すると商社から3~4人の担当者がやってきて、中島さんの話を聞き、目の前で本部に電話をかけた。

「中島さんはギブアップ。もうダメですから、出荷を停止してください」

これでおしまいだ。商社から出荷停止と債権譲渡をされ、倒産させられた。負債総額は約1億8000万円だった。父が社長だった時代の2500万?3000万円の負債が10年で大幅に増えていた。最初は20万円で始めた融通手形の金額も3200万円に増え、もぐりの金融業者からの借金も増えていた。

債権者から「告訴するぞ」と脅される

弁護士に10万円を払って相談すると「どうせ不動産は取られるから、債権者会議は開かずに身を隠せ」とアドバイスを受け「それをよいことに逃げた」。

それにしても、なぜ逃げたのか。債権者と任意に交渉する方法や、破産をする方法もあったのではないか。

「破産については、私に知識がなく相談相手もいなかったので、破産をしようとはまったく考えませんでした。また、任意に交渉するにしても破産をするにしても、債権者会議を開かなければなりません。この会議が怖かった。というのは、長年粉飾決算をして金融機関や仕入れ先をだましてきたので、それがばれるのが怖かったからです」

中島さんが取引をしていた「もぐりの金融業者」というのは、金融業や貸金業の免許を持っていない人たちである。そんな人が金融業を営むのは違法だから、ある業者からこう言われた。「決算書の明細に俺の名前を書くなよ」

決算書の借入金の明細書には、どこからいくら借りているかとか受取手形をどこで割り引いているかを、きちんと書かなければならない。ところが、お金を貸すと違法になる会社から、借りたり手形を割り引いてもらっているとなると、その人たちに迷惑がかかる。

わずかな金額であれば、ごまかしようもある。ところが、融通手形だけでも3200万円にもなると、とてもつじつまが合わなくなるから決算書を粉飾せざるをえなくなる。私が経営をしていた会社でも、前社長が経営をしていた時代には、同じようなことをしていた。融通手形や高利の借金にまみれると、決算書を粉飾せざるをえなくなるのだ。

輸入商社から倒産をさせられた日、偶然にも売掛金40万円の回収があった。中島さんはそのお金を妻と2人で20万円ずつに分けて、夜逃げをしようと決めた。会社や自宅はほったらかしのままだ。5~6人いた従業員たちにも、なにも告げていない。

妻は3人の子供たちを連れて、滋賀県の実家に戻り、物置で生活をすることにした。中島さんは最初、九州の知り合いのところに行って仕事をさせてほしいと頼んだ。すると断られ、10万円の見舞金をくれた。

次に中島さんは、東京へ向かった。「再起のチャンスを得るには東京に行くしかない」と思ったからだった。

東京に着いて1週間後、どこで聞きつけたか、大阪の債権者から連絡があった。倒産の1週間前に200万円を借りた債権者だった。「倒産すると分かっていて200万円を借りたのだから、詐欺罪で警察に告訴する」と息巻いている。実際には、倒産すると分かりながらこのお金を借りたのではない。とにかく生き延びようとの一心から借りたのだった。あわてて大阪に行き「告訴だけはしないでくれ」と頼んだ。債権者は「すぐに200万円を返してくれ」と返答。そう言われても、返せるお金はない。すると「じゃあ、東京でやっている飲食店で働いて返してくれ」。

そんないきさつで、中島さんは東京の飲食店で皿洗いをしながら、借金を返済させられることになった。

「窓から雨漏りがする江東区のマンションの1室で、20歳くらいの店員たちと雑魚寝をしながら働かされることになりました。見張り人がついているタコ部屋です」

ついに中島さんは、タコ部屋にぶち込まれてしまった。

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